鶴見神社の歴史

二社相殿
◎杉山大明神 
 御祭神 五十猛命 別称 こだねの神
 御神徳 植林・成長の神・子供の守護神
◎天王宮  
 御祭神 素盞鳴尊(牛頭天王)
 御神徳 安全守護・厄除け

由緒

鶴見神社は、往古は杉山大明神と称し境内地約五千坪を有していました。
その創建は、推古天皇の御代(約一四〇〇年前)と伝えられています。大正九年に鶴見神社と改称しました。
『続日本後紀』承和五年(八三八)二月の項に、「武蔵国都筑郡の杉山神社が霊験をもって官弊に之を預からしむ」とあり、この有力神社として江戸時代の国学者黒川春村は、鶴見神社に伝わる田遊びに関する『杉山明神神寿歌釈』を著しています。

昭和三十七年、境内より弥生式後期から古墳時代の土師器を中心として鎌倉期に及ぶ多数の祭祀遺物(祭りに使用された道具)が発見され、推古朝以前より神聖な場所として、すでに祭祀が行われていたことともに、横浜・川崎間最古の社であることが立証されました。

伝承

鎌倉将軍源頼経が仁治2年(1241)に杉山大明神に参詣し、「吾れの如く大きくなれ」と奉納したと伝えられる欅がありました。
残念ながら昭和37年に枯死しましたが、その際、根元土中より多数の祭祀遺物(祭りに使用された道具)が発掘されました。

略年表

主な出来事

──旧石器時代(BC33000)
最後の氷河期で鶴見台地や神社付近は約200mの丘となり、東に古東京川が流れ、姶良(あいら)火山灰が降る

──縄文時代(BC10000)
【早期】温暖化が始まり、東京湾に海水が流入し、横須賀の夏島貝塚、横浜に野島貝塚を作る
【後期】海退が始まり、神社付近も鶴見川の川水が運ぶ砂が堆積して陸化して、海岸近くにヒト(人)が来て土器を残した

──弥生時代
関東に稲作が伝わり、鶴見川中流に大きなムラ(村)が作られ、神社付近も耕作が可能になった

──古墳時代(300年代)
神社西側付近に稲作りのムラが作られた。ムラ人たちは、たくさんの土器を作り、使って、前面の海でとった貝を食べて貝塚を残した

──平安時代(800年代)
『続日本後紀』承和 5年2月の項に「武蔵国都筑郡杉山の社、霊験あるを以て官幣を之に預らしむ」とあり、杉山社が官弊社となったことが記されているこの頃、神社に伝わる「田祭り」が始ったと推定される(板橋区の北野神社・諏訪社の伝えから)

──鎌倉時代(1200年代)
鎌倉4代将軍頼経が仁治2年(1241)に杉山大明神(現在の鶴見神社)に参詣し、「吾れの如く大きくなれ」と4本の欅を奉納植樹したと伝えられている

──建武元年(1334)
「武蔵国鶴見寺尾郷絵図」(松蔭寺古図)が作られる。江戸時代以前の関東地方の地形や荘園範囲を描いた貴重な絵図/県立金沢文庫収蔵/国の重要文化財

──江戸時代(1600年代~)
徳川家康が江戸に幕府を開き、東海道を整備。神社境内に浅間社・牛頭天王社など、道向かいに信楽茶屋があり、街道は江戸時代を通じてにぎわった

──江戸時代(1650~1670)
この頃、小倉の天王社の大神輿が鶴見川天王河岸に流れ着き、鶴見村の百姓が茅を刈る長柄の鎌で引き上げて、神社に奉納したと伝えられている。(長柄の神輿)

──文化6年(1809)
江戸の国学者黒川春村、鶴見村の佐久間家・平野家所持の「神寿歌」の異同を正し、「杉山神社神寿歌釈」を記述。「祭礼の古風なるその唱歌はた古雅なるを思えば必旧社にておはします」と杉山明神を延喜式の古社として推す

──文化文政期年(1804-1829)
『新編武蔵風土記稿』に「この社にて毎年正月十六日百姓等が歌い踊る明神の田祭り歌というものあり。殊に古風なるものにて関東の守護三島大明神といえることあり。これらのことにても北條の頃のものたることしるべし」と記されている

──嘉永 6年(1853)
鶴見村名主佐久間権蔵が社殿改築

──安政 6年(1859)
横浜開港

──文久 2年(1862)
生麦事件起こる

──明治 1年(1868)
明治維新、東京遷都。神仏分離令・廃仏毀釈

──明治 4年(1871)
この年を最後に平安時代から伝わる田祭りが県の令により廃絶となる

──明治 5年(1872)
新橋・横浜間鉄道開通・鶴見駅開業/境内地西半分が鉄道用地として接収される

──明治 6年(1873)
12月 官命により鶴見村村社に列せられる

──明治33年(1900)
1/11 汽車の火の粉で社殿焼失
寺谷熊野神社を筆頭に21の末社は一村一社の令で、寺谷熊野神社を残して廃社となる

──明治44年(1911)
3/31 鶴見の大火/汽車の火の粉で200余戸焼失

──大正 4年(1915)
11/9 社殿再建遷宮式(大正天皇ご大典記念造営)

──大正 9年(1920)
杉山神社を鶴見神社と改称

──昭和37年(1962)
境内の欅の巨木が枯死、根元から祭祀遺物と生活用具(ツボ・カメ)が出土。当時のムラと判明

──昭和 61年(1986)
明治4年廃絶の田祭りを115年ぶりに再興、鶴見田祭り保存会設立

──平成20年(2008)
神社境内本殿前から東側に貝層が発見され、市埋蔵文化財センターが発掘した結果、弥生時代から古墳時代初期と判明。横浜市の史跡に指定される

──平成29年(2017)
2月 田祭りの保存継承のため演者の神寿歌伝習により、金子元重(鶴見神社宮司)が平成28年度(公財)全国税理士共栄会文化財団地域文化賞(伝統芸能分野)受賞
4/29 鶴見区制90周年・田祭り再興30周年記念鶴見の田祭りを盛大に斎行
10月 鶴見田祭り保存会が(公財)ポーラ伝統文化振興財団第37回伝統文化ポーラ賞地域賞受賞
11月 鶴見の田祭りが横浜市地域無形民俗文化財に登録される